江戸時代の人々が歩いた道をたどり、京都三条から日本橋までの「東海道五十三次」(全長約492キロ)を2年5ヵ月かけて歩きました。2022年5月16日、70歳で全宿を踏破できました。
(豆知識)
東海道は鎌倉時代に鎌倉と京を結ぶ街道として急速に発達しました。当時は美濃を迂回するため、江戸時代に比べ十宿多い六十三宿がありました。江戸に幕府が開かれると表通りの東海道、裏通りの中山道の二つに分かれ、表通りの東海道が特に発達しました。なかでも箱根峠、小夜の中山、鈴鹿峠は東海道三大難所として知られ、箱根・新居などの要所には関所が置かれました。相模川・酒匂川・興津川・安倍川などでは架橋をせず、川越をしていました。現在はほぼこれに沿って国道1号線が通っています。東海道五十三次は、慶長六(1603)年に東海道沿いに置かれた五十三の宿駅です。
・本陣・・・武将の宿泊所で、大名の定宿のようになった
・脇本陣・・・本陣の補助的な役割を果たす宿泊所
・旅籠(はたご)・・・食事を提供する宿所
・問屋場(といやば)・・・宿場で人馬の継立の仕事を行う所
・立場(たてば)・・・宿場と宿場の間にあって、旅人や人足などが休息する所
・寄場(よせば)・・・宿場の交通量が多い時に、不足する人馬を近在の村々から寄せ集めた溜り場
・木戸(きど)・・・町の境界等に設けられた保安用の門
・棒鼻(ぼうばな)・・・宿場の出入口
・陣屋・・・小藩の領主が構えた実質的な城
・代官所・・・君主ないし領主に代わって、代官が任地の事務を執った役所
・高札場(こうさつば)・・・幕府や領主が決めた法度や掟書などを木の板札に書いて掲げた所
・関所・・・交通の要所に設置された、徴税や検問のための施設
・見付(みつけ)・・・見張りの番兵を置いた軍事施設で、宿場の入り口にも置かれた
・番所(ばんしょ)・・・交通の要所に設けられ、警備や見張りの番人が詰めるための施設
・茶屋・・・宿場で旅人が休息する所。昼食や土地名産の菓子を食べる事ができた
・一里塚・・・江戸日本橋を起点として一里ごとに木を植え、旅行する者の行程を示した
旧東海道の主な峠と高低差
【文政・天保時代と今回の航路比較】
【中廻り航路上の渡跡(桑名市長島町福吉)】
左上より順に、
三条大橋、①大津宿、②草津宿、③石部宿、④水口宿、
⑤土山宿、⑥坂下宿、⑦関宿、⑧亀山宿、⑨庄野宿、
⑩石薬師宿、⑪四日市宿、⑫桑名宿、⑬宮宿、⑭鳴海宿、
⑮池鯉鮒宿、⑯岡崎宿、⑰藤川宿、⑱赤坂宿、⑲御油宿、
⑳吉田宿、㉑二川宿、㉒白須賀宿、㉓新居宿、㉔舞坂宿、
㉕浜松宿、㉖見付宿、㉗袋井宿、㉘掛川宿、㉙日坂宿、
㉚金谷宿、㉛島田宿、㉜藤枝宿、㉝岡部宿、㉞丸子宿、
㉟府中宿、㊱江尻宿、㊲興津宿、㊳由比宿、㊴蒲原宿、
㊵吉原宿、㊶原宿、㊷沼津宿、㊸三島宿、㊹箱根宿、
㊺小田原宿、㊻大磯宿、㊼平塚宿、㊽藤沢宿、㊾戸塚宿、
㊿保土ヶ谷宿、(51)神奈川宿、(52)川崎宿、(53)品川宿、日本橋